コロナの騒動が終われば「自分はデマに惑わされず、正しい発言・行動をしていた!」がいっぱい出てくるんでしょうね。

 今回の騒動の最中ではあるけど、コロナの騒動において色々思うところについて述べておこうと思う。騒動が終わり、後知恵バイアスで記憶を書き換えてしまう前に書いておかねばならないような気がしたのだ。

1 後知恵バイアス

 昔々、といっても第二次世界大戦後のお話。戦後になると「日本が負ける」ということを最初から知っていたという人々が現れた。「オレは最初から無理だと思っていたんだ」「少し知恵を回してみるとすぐわかる」等、まるで最初から正しい判断を下していた人がどこからともなく増えていった。今風に言えば後知恵バイアスというやつである。しかし、このバイアスの恐ろしいところは、自分の記憶でさえ書き換えてしまうところにある。自分が間違えた選択をしていたということは、自己一貫性、アイデンティティの問題に直結してしまうからだ。

 今回のコロナの騒動では、様々な人々が現れた。最初中国からの入国禁止を決めたとき、過剰反応ではないかという声が多々あった。学校を閉校したときも反発があった。最初の緊急事態制限を行ったときも同様の声があった。しかし、今となっては自分の判断が間違っていたと言う人は稀だろう。そして、あのとき反対していたことは埋もれてしまう。そして、記憶からも消えてしまうのだ。

2 デマの流布

 コロナにおいては多くのデマが流れた、商品の品薄、エセ化学療法等、多くの怪情報が出回った。一つ一つの検証は難しいが自分の経験等を踏まえ、注意すべき点について書き残しておく。

1 政府や公的機関が信用できないからと言って、流れている噂に乗ってはいけない

 こうした流行症の対応については後手になりやすいことを考えれば、政府や公的機関に不信感を持つことは理解できる。しかし、だからといってソース不明の情報などに飛びついてはいけない。チェーンメールではないが、周りの人、友人が信用できると言ってどこから引っ張ってきたかわからないコピペを回してくることがあるだろう。十中八九ろくでも無い情報である。回してきた人があなたの信用できる人であってもである。多くの場合、デマというのは善意で流される。ソースがなければ無視したほうが無難だ。

 特に、TV画面のキャプチャやニュース記事のスクショなどはダメである。なぜなら、それらは情報の一部でしか無いので、全体としては反対に意見であっても全く逆の意味で捉えられる可能性があるからだ。

 また、検討、提案、素案というものは変動するものだ。その一部を切り取り、まるでさも決定事項のようにデマを流すものがいるので注意すること。

2 先入観に流されてはいけない

 人は見たいものしか見ない。今回のコロナの騒動では海外との比較がよくあった。そしてその度に検証する度に、都合の良い切り取り、誤謬、はては全く存在しない等様々な形でデマが渦巻いていた。はっきり言えば労力に合わない

 個人的には、公的ソース、即ち各省庁の情報をやはり調べるのが一番だ。また、海外の情報を検索する際には、海外の公的機関を同じように調べること。DEEPL翻訳等精度の良いものが最近はたくさんある。加えて、個人的には、保険会社や貿易関係の法律事務所などが出すレポート等もかなり役にたった。このレポートの良いところは政治色が薄いところにある。
 また、今回の事例ではやはりネットニュースは玉石混交ということも指摘しなければならない。例えば会見を調べるなら、公的機関のサイトに有る報道資料が一番である。もし、それが難しいなら各新聞が配信するニュースにしたほうが良い。週刊誌やスポーツ新聞等はできる限り避けたほうが無難だ。個人の書くネットニュースはイデオロギーもあり正直役に立たない。とくに「震えが止まらない」とか「涙が流れる」とか言う感情を利用したを用いたフレーズを多用するのは信用してはいけない。こうしたフレーズはたしかに読者に強いインパクトを与えるが、内容は薄っぺらいものだ。

3 結論

 ここまでとりあえず今の所書きたいことを書いておいた。おそらくこれからも感染症に関わらず有事の際には同じような事が起きると思う。私は都合よく記憶を捏造しないでいられるだろうか。わからない。