「フローレンス・ナイチンゲールは鶏頭図、鶏のとさか呼ばれる一種の円グラフを考案した」は誤りではないか?

 

矛盾のある記述

統計学習の指導のために 補助教材統計 エピソード集 ナイチンゲールと統計

https://www.stat.go.jp/teacher/episode03.html

統計局の出している補助教材によると

今も「鶏のとさか」と呼ばれる円グラフの一種はこの過程で彼女によって考え出されたものです。

フローレンス・ナイチンゲール - Wikipedia

日本語版ウィキペディアによると

ナイチンゲールが考案した「鶏のとさか」と呼ばれる円グラフ。クリミア戦争での負傷兵たちの死亡原因を、予防可能な疾病、負傷、その他に分けて視覚化している

と、鳥のとさかと呼ばれるグラフを考案したと書かれている。

 このグラフはpolar area diagramもしくはNightingale rose diagram、coxcombとも呼ばれているらしい。

 しかし、この記述を調べていくと同じ日本語版ウィキペディアの円グラフの中では

円グラフ - Wikipedia

ナイチンゲールがこの図を考案したとされているが、もっと早い時期にこれを使った例がある。Léon Lalanne は1843年、32方位での風向の頻度を鶏頭図で表した。1829年、André-Michel Guerry は周期的現象の頻度を鶏頭図で表したものを論文に掲載している。

と、書かれており矛盾している。どういうことなのだろうか?

調べてわかったことについて以下に列記する。順不同の為読みにくいかも。

鶏頭図グラフについて

 まず、そもそも鶏頭図とは何か?

 鶏頭図は、円グラフの角度は項目ごとに一定で、数の大小は半径で表される物を指す。円グラフというよりは、棒グラフを円形に配置したものと言っても良い。ただ、棒グラフを円形に配置するよりも、円グラフにすることで大きい数字の項目は過剰に大きく、小さい数字は項目は過剰に小さく表現されることになる。統計学者的には見にくく勘違いさせるグラフはどうなんだ。彼女がこのグラフを利用したのは、死亡率の高さをアピールし、現状の改善を訴えるため?。

 ナイチンゲールはこのタイプのグラフを鶏頭図、すなわちcoxcomb(鳥のトサカ)とは呼んでいない。後世の伝記作家の勘違いによるもの。正しくはナイチンゲールが「coxcombにこのグラフが載るはずだ」(※ここでのcoxcombは1858年に発行された報告書のことを指す。表紙がそういった図柄だったからか、それとも報告書の名前がそうだったかは不明)と言ったのをグラフの名前と勘違いしたためによるものだ。*1

 

André-Michel Guerryのグラフについて

 アンドレ・ミッシェル・ゲリーによって1829年に考案されているグラフは、次のような形だそうだ。*2

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 彼は一年間の風の向きがどのように変化するのかを表すために考案した。通所の棒グラフによって表現しようとすると、1月から12月の変化が表現できないため、周期性を表すためにこのグラフを採用したのだろう。やっぱりクリミア戦争の死亡率の表現には適していないのでは・・・??

Léon Lalanneのグラフについて

 レオン・ラランヌ(これで読み方あってるんか?)によって1843年に考案されたグラフは次のような形らしい。このグラフは風向き頻度を表すそうだ。*3

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 棒グラフで風向きの頻度を表してもわかりにくいことために、この形をとったと思われる。やっぱりクリミア戦争の死亡率の表現には適していないのでは・・・??

ナイチンゲールはどこからこのグラフを知ったか

 ナイチンゲール発表以前に鶏頭図が採用されていることを示した。しかし、彼女がどこからこのグラフを学んだのかは不明だ。

 どこから知ったかの説の一つとして、彼女が発表に前に交流を持っていた統計学者ウィリアム・ファーによるものが挙げられる。ウィリアム・ファーは、ナイチンゲールとともにクリミア戦争の報告を行った人物で、ゲリーの論文にも精通していた。そのため、彼がゲリーのアイデア、すなわち鶏頭図を教えたとしても不自然ではないというものである。 

以上より結論

 やはり、ナイチンゲールが鶏頭図を考案したというのは言い過ぎのような気がする。

むしろ、周期性を持つものに使われていた鶏頭図を報告書に取り入れ、クリミア戦争の死亡率をわかりやすく示した、といったほうが真実に近いと思われる。